2018/3/10 名古屋ウィメンズマラソン展望<5>
前田は貧血の影響で練習不十分、レースプランも未定
手術後の復帰が不安な状況の前田を支えたものとは?

 2年7カ月ぶりのマラソンとなる前田彩里(ダイハツ)が、直前まで出場を迷っていた。そのことをレース2日前の会見後に、林清司監督が明らかにした。
「1週間前まで迷っていました。当初は練習のタイムが上がらず何かおかしいな、くらいだったのですが、(本来最後でペースを上げる)40km走も、上げきれない。予定を1週間早めて帰国しました。アルバカーキでも2回検査をして、貧血と肝機能の数値が良くなかった。ただ、競技者にはよくあることです。そこまで無理をして出るシーズンではありませんから、出場を見送ることも考えましたが、最後の検査で万全になったことを確認できた。スピードの切り換えに不安はありますが、MGC資格獲得までは行く」

 レースプランも前日夕方時点ではまだ、決めていなかった。
 15時半からのテクニカルミーティングで主催者から、ペースメーカーの設定タイムが以下のように発表された。
17分00秒前後:ナンバー1と2が最大25kmまで、4が最大ハーフまで
17分30秒前後:ナンバー3が最大ハーフまで

 林監督は練習が不十分だったことから、17分00秒ペースでは速過ぎると感じている。かといって17分30秒では、MGC出場資格タイムに届かないかもしれない。
「10kmまでは下りなので良いのですが、そこから17分00秒ではきつくなるかもしれません。第2が17分20秒だったら良かったのですが、どちらも微妙な設定。第1につくか、後ろで行くかは今答えられません」

 レースプランは未定だが、前田が2年7カ月ぶりのマラソン・スタートラインにつくことは明るい話題に違いはない。
 手術をしたのが16年3月の、名古屋ウィメンズマラソン直後だった。レースに復帰したのが昨年9月で、1年6カ月もの月日を要した。その間、前田が「(競技を)もうやめようかな」と、弱気になったこともあったという。
「色んな方が自分を支えてくれました。ドクター、監督、スタッフ、チームメイト、そして家族。支えられたから、やめずにすみました」

前田彩里のマラソン全成績
回数 月日 大会 順位 日本人順位 記 録
1 2014 1.26 大阪国際女子 4 2 2.26.46.
2 2015 3.08 名古屋ウィメンズ 3 1 2.22.48.
3 2015 8.30 世界選手権 13 2 2.31.46.

 そのうちの1人が、母親の淳子さんだ。「まだ3回しかマラソンを走っていないでしょ。やめたらもったいない」という言葉をLineで送った。その真意を先日、淳子さんに改めて質問させてもらった。
「父親が亡くなる前から(前田が大学4年時の夏に他界)、実業団に行って、引退後も走りたいと言っていたんです。どういう立場になっても走ることから離れたくない、と。私もずっと走ってきて、1〜2年走れない時期があってもやめると言ってほしくなかった。きついこともあるでしょうけど、マラソンの本当の面白さがわかるのはこれからですから。選考会と世界陸上に出場もしていますが、世界には色々なマラソンがあります。大会毎にメンバーも、レース運びも違うし、最大の目標であるオリンピックにも出ていません。3回くらいではまだまだだよ、と言いました」
 彩里という名前は、「人生を彩りあるものにしてほしい」という淳子さんの願いが込められている。前田のマラソン人生が、本当に彩らて行くのはこれからだ。そのスタートラインにつかずにやめて行ってほしくはなかった。

 昨年9月に米国のハーフマラソンで復帰し、10月のプリンセス駅伝5区、11月のクイーンズ駅伝5区で連続区間賞。マラソン復帰への道も順調かと思われたが、前述のようにアルバカーキで行ったマラソン練習は順調に進んでいなかった。
 思い通りに走れないつらさを、同じランナーである母親についついこぼしてしまう。淳子さんは前田のコーチではないので練習内容に立ち入ったりはしない。だが、娘の気持ちを前向きにしたかった。
「以前のマラソン練習と比べて、これが走れなかった、これは前やっていなかった、と比べることが目立ってきて、それは違うんじゃないか、と送りました。走れていた頃の練習も目安にして良いとは思いますが、今がどうか、今の状態をどう上向きにしていくかが重要なはず。次につなげることを考えて、前向きに頑張って、と」

 練習が不十分だったにもかかわらず、前田はスタートラインに立つところまで立ち直った。本人は会見で次のようにコメントしている。
「色んな人たちへの感謝の気持ちが、今まで以上に大きくなりました。感謝の気持ちを持って走りたい」
 前田がどんなレースプランを選択するかは、走り出してみないと判明しない。だが、どんな走りになろうとも、淳子さんをはじめ支えてくれた人たちへの思いが、その走りには込められている。


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